新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、国際的な連帯を呼びかけたメキシコのロペス・オブラドル大統領。一方で、国内の感染対策では「対応の遅れ」について野党政治家、政敵、海外から批判されていました。
4月30日現在、メキシコ(人口約1億2千万人)の新型コロナウィルス感染者数1万9224人、死亡者数は1859人となっています。
メキシコは新型コロナウィルスへの対応は他国に先がけて始めていましたが、市民に訴えかけるメッセージは焦らず慎重に、戦略に沿ってブレずに対策を進めていくことを優先していました。この背景にはメキシコならではの事情もあったのです。
~メキシコの新型コロナウィルス対策~
◇4月の国連総会で国際的な連帯で危機を乗り越えようと提唱
◇世界に先駆けた新型コロナ対応でWHOから高評価
◇国内では大統領が外出自粛せず、言動が「無責任」と批判を浴びる
◇新型インフルエンザが流行したときの混乱が教訓に?
ワクチンのアクセス決議案を提唱
4月20日、国連総会に出席した193カ国により、ある決議案が全会一致で採択されました。メキシコが作成したこの決議案は、将来開発されるであろう、新型コロナウィルス感染症のワクチンに対する平等なアクセス権を求めるものです。
目的は、先進国間が医療資材の争奪戦を繰り広げるなか、特定の企業や国家がワクチンを独占する動きを阻止することでした。
メキシコのロペス・オブラドル大統領は先んじて、3月26日に議長国サウジアラビアの呼びかけで開かれたG20テレビ会議でも、ワクチンのアクセス権について提唱していました。
このほか、ロペス・オブラドル大統領は
①医療品、医療資材、人工呼吸器を公平に分配し、相場高騰を阻止すること、
②覇権国、大国間の争いについて休戦を約束し、一方的な関税や制裁措置、物資の独占を禁止する、経済の打撃を緩和するために原油価格や金融の安定を図ること、
③差別反対、国際的な連帯感とともにこの危機を乗り越えること、
などを提唱しました。
加えて政治家が間違いを犯さないために、「医師や科学者、専門家の支援や協力がもっとも重要である」とも訴えました。
決議後に難色を示したトランプ大統領
採択された国連の決議案には、拘束力はありませんが、「国際社会のコンセンサス」として重要な役割を果たします。
しかし、国連総会に出席した外交官によると、決議案の文面にWHOが「極めて重要な主導的役割を果たす」という部分があったため、トランプ米大統領が強く批判したそうです。国連決議案の採択後に、米国が反対を表明しようとしたという報道もありました。
外出自粛に従わなかった大統領
さて、国際社会でイニシアチブをとったロペス・オブラドル大統領ですが、メキシコ国内では当初、その言動に批判が起きていました。
海外や国内の野党政治家からは、ブラジルのボルソナロ大統領やトランプ米大統領と同列にされていたのです。2月時点でボルソナロ大統領は「外出制限は犯罪的、COVID-19はただの風邪」と公言し、トランプ大統領は「アンダーコントロール」の一点張りで、警鐘を鳴らす専門家の声をないがしろにしていました。
メキシコでは感染対策の責任者が国民向けに人と人との一定の距離を保つよう(ソーシャル・ディスタンシング)呼びかけていましたが、大統領は相も変わらず、週末となると支援者の集まりに出席して、人びとと抱擁したり、握手を交わしたりしていました。
野党議員やメディアからは「無責任」と批判を浴びていましたが、当初は「(外出自粛を呼びかけていた)60歳以上の高齢者、妊婦、子ども、基礎疾患のある人以外は(外出も)OK」としていました。
そんなロペス・オブラドル大統領の言動の背景には、過去の感染症対応における教訓があったようです。
WHOから初動の速さを評価される
メキシコはその実、他国に先がけて、新型コロナウィルス対策を始めていました。WHOもそのことを高く評価しています。12月31日、中国武漢のWHO事務所に原因不明の肺炎患者が拡大しているという連絡が入りました。
米国のCDC(米国疾病予防センター)等、主要国の感染症予防機関に中国のCDCから報告が入ったのは年が開けた1月3日。メキシコはその日から即刻対応に動き出したのです。
いち早く危機感を持ち、メキシコが動き出した背景には、11年前の新型インフルエンザをめぐる経験がありました。
新型インフルめぐる非難合戦
2009年、新型インフルエンザが世界的に流行しましたが、メキシコでも例年にはない異常な状況が報告されていました。
米国やカナダでは4月に入って、インフルエンザの感染者数が減少に転じていたにもかかわらず、メキシコ国内では呼吸疾患のある入院患者が増え続けていたのです。
4月までにメキシコ国内14カ所で集団感染が発生し、WHO-PAHO(汎米保健機構)が査察に入りました。メキシコシティの病院で入院していた肺炎患者のウィルス検体がカナダの国立生化学研究所に送られ、4月23日に新型インフルエンザであることが確認されました。
時を同じくして、米国カリフォルニア州でも10歳の少年と9歳の少女が肺炎を発症して、新型インフルエンザであることがわかりましたが、ふたりは面識がなく、メキシコへの渡航歴もありませんでした。
このとき、メキシコの政治家は米国が発生源だと言い、米国側はメキシコだと応酬しました。
非常事態宣言後、国内パニックに
新型インフルエンザの感染者が出たことで、メキシコ政府は当時、公衆衛生上の非常事態宣言を発令して軍を出動させる騒ぎとなりました。
メキシコシティなどで学校が休校となり、図書館や博物館、劇場を10日間封鎖して集会を禁止、メキシコシティは行政が飲食店の夜間営業自粛を要請し、野球は無観客試合が行なわれ、コンサートやイベントも中止になりました。
こうした措置の徹底ぶりに市民はパニックに陥り、まず買い占めによるモノ不足が起こりました。人と人との間に距離ができ、交通機関の運転手はマスクと手袋を着用しなければ罰金を課すと言い渡されたのです。
パニックは医療現場にも拡大しました。新型インフルエンザの詳細な情報がわからないまま、診断基準もあいまい、治療体制も整っていない病院に人が押し寄せ、混乱を引き起こしたのです。医療資材は不足し、人工呼吸器の扱い方に不慣れな現場はまたたく間に医療崩壊になりました。
世界的なメキシコ人への差別が広がった
この状況は国内外のメディアによって大きく報じられ、キューバやアルゼンチンなど、近隣諸国はメキシコからのフライトを着陸拒否して入国禁止措置を取りました。
メキシコ製品は海外の税関で止められ、世界的にメキシコ人への差別が広がったのです。
例えば、上海から香港へのフライトに搭乗していたメキシコ人ひとりが新型インフルエンザに感染していたことがわかると、香港当局はすぐさまメキシコ人観光客100人を症状がないにもかかわらず隔離し、違反すれば罰金、あるいは6ヶ月~1年間拘束すると脅しました。
メキシコ政府はアジアに取り残された自国民のために特別機を用意して救援に当たりましたが、各地を回って最後に香港で搭乗した12人は防護服を強制的に着せられていたため、機内はパニックとなり、機長が中に入って落ち着かせたというエピソードが残っています。
実際に低かったメキシコの死亡率
2009年春にメキシコ、米国、カナダに広がった新型インフルエンザはその後、74カ国に感染拡大し、WHOが6月にパンデミックを宣言、収束までに約1年を要しました。
メキシコの保健相の記録によれば、2010年7月までの感染者数が7万2548人、死者数は1316人に及びました。
感染者の半数は北米に集中しており、WHOの公式報告では世界全体の死者数が1万5800人となっていますが、2年後に医師や疫学者が実施した調査で、世界の死者数は少なく見積もっても28万人、多ければ57万人という発表がありました。この数字には検査ができなかった東南アジアやアフリカの推計も含まれています。
つまり、メキシコは新型インフルエンザ流行初期に、強毒性インフルエンザと思われて感染者数や死亡率が高いと話題になり、国内外で大変な混乱を引き起こしたのですが、結果として感染者数、死亡者数ともに、メキシコが群を抜いていたわけではなかったのです。
止まなかった風評被害
ところが、メキシコへの差別による風評被害は止まりませんでした。
ひとつのきっかけはメキシコのメディアが、東部ラグロリア村の5歳の少年、エドガー君が「感染者1号だった」と騒ぎ立てたことでした。母親が「近所の豚に(新型インフルエンザを)移された」と証言したからです。
2006年から、村近郊の養豚場の劣悪な衛生環境が地域の汚染を引き起こしていることを新聞が報道し、問題になっていました。親会社が世界最大の米国の豚肉加工会社、スミスフィールド・フーズだったことも、騒動を加熱させる結果となりました。
実際にこの地域で、急性呼吸疾患の集団感染の発症例は600人を超え、村の人口の3割に及びました。ところが、その後の全国調査で、メキシコシティやほかの地域などでも、以前に新型インフルエンザ感染者がいたことがわかり、「発生源」の報道には大きな疑問符がつくことになりました。
メキシコ中が注目するなか、ラグロリア村の村長がエドガー君の銅像を作って観光名所にしようともくろみ、「大学までの学費を無料にする」と公言してみせたにもかかわらず、「約束は果たされることがなかった」と15歳になったエドガー青年は証言しています。
新型インフルのトラウマとコロナ対策
「新型インフルエンザ発生源」をめぐる騒動が起こったメキシコですが、当時は「情報を隠していた」とされ、国際社会で批判を浴びていました。
さらに差別による風評被害は経済に大打撃を与えたのです。
その後に実施された分子疫学解析によれば、発生源とされる、北米豚ウィルスとユーラシア系鳥由来豚ウィルスの遺伝子交雑体が豚の間で長い間流行していたことがわかっています。遺伝子進化速度から計算すると、豚ウィルスが人に最初に侵入したのは2008年8月~2009年1月ごろだとされており、メキシコで流行していたときには、ウィルスもグローバル化の波に乗って、世界各地を飛び回っていたとされます。
新型インフルエンザをめぐる混乱と各方面への打撃――。こうした背景をめぐり、ロペス・オブラドル大統領は、新型コロナウィルスの感染拡大に大きな危機感を募らせて迅速な対応をしつつも、いかに国内で混乱を引き起こさないか、平静を保つ姿勢を示していたともいえるでしょう。
ケパサenミカサ編集部
参考:
AFPBB News「国連のワクチン決議、米国が『事後反対』 外交官筋」/ Prensa Latina “Aprueba ONU resolución de México sobre vacunas contra Covid-19” / El Sigro de Torreón “OMS dice que México va un paso adelante contra COVID-19 frente a otros países” / Revista Digital Universitaria, “La influenza A/H1N1 2009. Una crónica de la primera pandemia del siglo XXI” / La Jornada, “Influenza, atractivo turístico de Veracruz, según Fidel Herrera” / Centers for Disease Control and Prevention, “Influenza, Summary of Progress since 2009” / Centros para el Control y la Prevencion de Enfermedades, ”Pandemia H1N1 del 2009 (virus H1N1pdm09)” / 国際医学情報センター(IMIC), 「最新情報:新型インフルエンザ(H1N1)ウイルス感染症-メキシコ、2009年3-5月」/ eLife, “Origins of the 2009 H1N1 influenza pandemic in swine in Mexico” / PortalVeterinaria, “¿Cuál es el origen del virus de la gripe A H1N1?” / ScienceDaily, “2009 swine flu pandemic originated in Mexico, researchers discover” / Centros para el Control y la Prevencion de Enfermedades, “Pandemia H1N1 del 2009 (virus H1N1pdm09)” / Departamento de Salud Pública. Centro Universitario de Ciencias de la Salud. Universidad de Guadalajara, “Análisis de la epidemia de influenza A (H1N1) en México durante el periodo abril- mayo de 2009.” / SIEMPRE! Presencia de México, “La influenza de 2009 comenzó en México” / eLife, “Origins of the 2009 H1N1 influenza pandemic in swine in Mexico“