米国も味方につけた手腕~メキシコ大統領の戦略

メキシコ
メキシコの子どもの日(4月30日)、子どもたちが感染症対策責任者、ロペス・ガテルに新型コロナウィルスについて質問をした

世界を揺るがす、新型コロナウィルスの感染拡大。貧困や犯罪など様々な社会問題を抱えるメキシコは、医療改革を推し進めるタイミングに重なりました。

メキシコの新型コロナウィルス感染状況は、5月5日(現地時間)時点で感染者数が2万6025人、回復者数1万6810人、死亡者数2507人と発表されています。4月21日に「急速に感染が拡大し,医療機関の負担が高まる」段階である第3フェーズを宣言し、行動規制が続いています。

メキシコが抱える問題を背景に、新型コロナウィルス対策を計画的に進め、医療、経済、国際連携の各分野でイニシアチブを発揮する、ロペス・オブラドル大統領のここまでの足取りを追います。

メキシコの社会課題と新型コロナ感染対策

 メキシコが抱える問題①~格差・貧困

メキシコでは路上商売、行商、日雇い労働者等、労働人口の約6割がインフォーマル・セクターに属しています。つまり、社会保障の枠外で生活する貧困層であり、いわゆる所得階層別人口ピラミッドの最底辺が国民の過半数を占めているのです。

世界有数の天然資源国でもあるメキシコは、GDPでは世界14位。1992年にNAFTA北米自由貿易協定を締結後、93年にAPEC加盟、94年OECD加盟を果たしています。国内では82年から始まったグローバル化の波に乗って、億万長者が増加しました。

しかし、その豊かさを享受しているのは、ほんの一部の「特権階級」に過ぎません。安い労働力を求める多国籍企業に「国家の安売り」をしてきた政治家と、政治家とつながりのある人たちに限られているのです。

それでも、米国と隣接する北部の工業地帯で働く労働者の賃金は米国の15分の1ですが(注)、それでも貧しい南部の農村地帯に比べれば豊かといえるでしょう。都会を目指してやってくるインフォーマル・セクターの人びとの多くは、メキシコ南部から逃れてくるケースが多いのです。

(注)参考までに、2019年メキシコ北部の最低賃金は1日7米ドル(約750円)、カリフォルニア州の最低賃金は1時間当たり13米ドル(約1390円)

 メキシコが抱える問題②~麻薬カルテルの動き、殺人事件増加

日本でも報じられているように、メキシコは犯罪が多い国です。背景には①貧困と格差、②米国への密輸拠点としての外的要因があります。

3月は殺人事件による死亡者が3078人となりました。4月20日は殺人事件による死者数が114人と、一日当たりの記録が塗り替えられたのです。

原因は、窃盗、強盗、車窃盗による一般犯罪が減少した一方で、麻薬組織間の抗争が増えたためです。最大の麻薬消費国である米国が、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて国境の往来を制限したため、これまでの販売ルートがストップし、麻薬組織も収入減となりました。

麻薬組織は構成員をつなぎとめ、「腐敗構造」を維持するために、莫大な資金が必要です。さらに、新しい密輸ルートを開拓するためにも「縄張り」を広げる必要があります。

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、政府支援が行き届かないなか、麻薬組織が低所得者向けに食糧の無料配給や融資をしていますが、当局は「縄張り拡大の一環」として警戒しているのです。

 メキシコが抱える問題③~医療格差と不平等

メキシコでは医療保険の未加入者が約2千万人います。加えて、医師は20万人、看護師は25万人が不足しているのです。

OECD(経済協力機構)加盟国で比較すると、人口1000人当たりのベッド数は平均3.4床ですが、日本が13.4床なのに対して、メキシコは1.4床と低水準です。

さらに医療支出はOECD加盟国平均がGDPの9パーセントですが、メキシコは5.8パーセントにとどまっており、国家歳出に占める医療費の割合は2.9パーセントに過ぎません。

国民の健康上の問題としては、肥満による生活習慣病が多くを占めますが、背景として、貧困層が糖分や脂肪分が多い安価な加工食品を摂取していることが挙げられます。

大統領主導の医療改革

こうしたメキシコの医療問題を解決するため、ロペス・オブラドル大統領は北欧型のユニバーサルヘルスケアの導入を目指し、2020年1月1日から医療改革に着手しました。

医療格差や不平等の原因としては、加入する公的社会保険によって、利用できる医療施設が異なることがあります。

富裕層は民間医療保険を利用して、高額な民間病院を利用することができます。しかし、保険未加入者や低所得者が重病のため、医療設備が整った民間病院を利用すれば、莫大な借金を背負うことになるのです。

社会保険の制度改革

メキシコの公的社会保険制度は、民間企業向けのIMSSと、公務員向けのISSSTEなどがあります。しかし、こうした社会保険ができた1940年代には、インフォーマルセクターの存在が前提にありませんでした。

このため、保険の未加入者向けに、インフォーマルセクターのなかで農業従事者向けの民衆保険(Seguro Popular)が2003年に開始しました。ところが、この民衆保険は財政的には赤字を抱え、その時どきの政権の腐敗の構造に利用され、多くの問題を抱えていました。

例えば、長期に渡り、307軒の病院建設が中断したまま、財源は医療現場ではなく、官僚組織で使われてきたということもありました。公的社会制度のIMSSや民衆保険が適用できる病院は慢性的に人手不足で、満床状態のことが多く、医療機器も不足していました。

そこで2020年1月1日からは民衆保険が廃止され、健康・福祉庁(INSABI)が発足しました。民衆保険制度を引き継ぎ、保険未加入者向けの無料の医療サービスを開始したのです。しかし、限られた財源のもとでの苦しい門出となりました。

 「科学者を信じよう、政治屋には惑わされるな」

貧困対策や医療改革を推し進めるロペス・オブラドル大統領が2018年12月の就任以来、力を入れてきたのは市民への情報発信です。平日(月曜~金曜)朝7時から会見を開き、メキシコが抱える社会問題、とくに貧困や格差、犯罪対策について説明の時間を割いてきました。

新型コロナウィルス感染が世界中に広がった2月初旬から、大統領による朝の発信は新型コロナウィルス一色になりました。加えて、2月28日にメキシコで最初の感染者が確認されたことを皮切りに、大統領提案で専門家中心の会見が毎晩7時からも行なわれるようになりました。

専門家チームの会見では以下の内容を網羅しています。
○PCR検査で陽性の人数 – 累計
○PCR検査で陽性の人数 – 直近15日
○検査中、または検査結果待ちの疑い例
○死亡者数 – 累計
○PCR検査で陰性の人数 – 累計
○PCR検査、実施人数 – 累計

専門家からの情報発信を始めた背景に「科学者を信じよう、政治屋には惑わされるな」という、大統領の強いメッセージが込められています。

「家に残ろう!(Quédate en casa)」をスローガンに

今ではゴールデンタイムに高視聴率を獲得している、専門家を中心に据えた定例会見は、幅広い世代の国民が釘付けになっています。スローガンは”Quédate en casa. Quédate en casa. Quédate en casa”(ケダテエンカーサ!=家に残ろう)

毎日の定例会見では国内、世界の感染状況の報告、衛生面での予防対策、治療に当たる医療施設の状況、経済対策等について、各分野の専門家による説明が行われています。会見後半の質疑応答では、ジャーナリストたちによって、医療現場や国民の切実な声を専門家に伝えられるようにしています。

番組の陣頭指揮を取るのは、外科医でもある感染症対策責任者のウゴ・ロペス・ガテル。世界の新型コロナウィルスの拡散状況を伝えるリアルマップを作成しているジョンズ・ホプキンス大学で、感染症の博士号を取得している専門家です。

ロペス・ガテルは医療改革を掲げる大統領の全面的な信頼を得て、昨年から保健相のスポークスマンも務めています。2009年の新型インフルエンザA型(H1N1)のパンデミックの際は、対策チームで感染症の専門家として参加していました。

メキシコの「子どもの日」にあたる4月30日には、ビデオ会議風に、全国の子どもたちが専門家に直接質問する特別番組「ガテルに聞いてみよう」も組まれました。

 偽りの情報拡散をいかに防ぐか

ロペス・ガテルは2009年当時を振り返って、インタビューでこう話しています。

「もっとも苦労したのは政治家、財界人の介入、そしてメディア対策だった」。

当時、専門家中心の対策チームを編成し、WHO-PAHO(汎米保健機構)と綿密に連携を取りながら戦略を練り、対策を決定しましたが、日を追うごとに、政府上層部、政治家、財界人が口を挟むようになったといいます。

具体例としては、医療資材や医療機器の利用をめぐるこんな情報がありました。
-WHO-PAHOが推奨しておらず、精度に疑いのある簡易検査キット、または特定メーカーの医療資材や医薬品の利用について、個別に政治家が指示を出した。
-業界団体がメディアを使って誤情報、偽情報を流し、世論を動かして感染拡大予防対策を変えようとした。

つまり、こうした緊急事態を利用して「得をしよう」とする動きが出てくるのです。

もちろん、こうした状況はメキシコが特異というわけではありません。国連薬物犯罪オフィス(UNODC)によれば、各国が購入する医療資材、医薬品の財源の10~20パーセントが賄賂に使われているとのことです。また、腐敗や汚職の調査を実施する国際的なNGOである、トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)の調査結果ではEUでさえも、平時に医療財源支出の28パーセントが汚職にあてがわれるそうです。

 感染レベル別に行動計画を作成

新型コロナウィルスの感染対策は、メキシコは早期に着手したこともあり、先を見越して感染レベルに応じた行動計画を立てていました。現在では最高レベルの3になってしまいましたが、感染のピークも予想して経過を観察しています。

過去の推移を見ていくと、レベル1は2月28日~3月22日で海外から渡航した感染者とその接触者、レベル2は3月23日~4月22日で限定された地域での小規模な集団感染、そしてレベル3は4月23日からで感染の流行ととらえていました。予想どおりに感染レベルが推移した場合、ピークは5月8日~10日としており、4日時点ではその見通しが早まって6日と考えられています。

メキシコはそもそも中国からの渡航者が月1万1500人ほど、さらにEUや米国との往来が多かったことから、「水際対策は感染拡大を遅らせることには有効」だが、「いずれ中国で起きていたことはメキシコでも起こり得る」との認識を早くから市民に共有し、感染レベル別の対策が必要であることを強調していました。

人と人との間の距離を取る、ソーシャル・ディスタンシングは経済的弱者の経済活動を考慮したうえで、「段階的に上げていく」との見通しを示していました。

 人や設備が十分でない医療現場の取り組み

メキシコは医療従事者や医療設備が十分ではないため、集中治療室の満床を避けるべく、流行曲線の平坦化を目指してきました。一方、感染者の致死率を上げないため、医療崩壊を防ぐことも最優先に、科学的な計算に基づいた対策を練っています。

現状では4月23日に感染の最高段階であるレベル3に突入し、5月10日としていた感染ピークの予想がやや早まっている状況ですが、「感染の2波、3波は必ずやってくる」という想定のもと、1年以上の長期的な戦略を作成しています。

レベル1、2の段階では社会保険別の所管病院で治療が行なわれてきましたが、レベル3からはすべての病院を対象に、1カ所からのコントロールが始まりました。民間病院との連携を図り、一般診療はすべて民間病院で治療しています。

その結果、病床の占有率は現在70パーセントにとどまり、ピーク時でも90パーセントに抑えられるようにしています。ピーク時に向けた医療資材や人工呼吸器はレベル3に入ったときから一括輸入で備えてきました。

 経済対策は生活困窮者を優先に

経済対策としては、市民の過半数を占める貧困層を優先した内容を打ち出しています。

まず高級官僚の給与は一律25パーセント削減とし、クリスマスボーナスの支給も見送ることを決めました。ピラミッドの最底辺を占める生活困窮者や、年金生活者、障がいを持つ家族への現金配布の1回目は3月に始まり、2回目は5月に予定しています。

そのほか、インフォーマル・セクターに対する無利子、無担保融資の手続きを簡素化しました。

企業への融資は「連帯企業」、つまり雇用を守った企業を優先的に支援する方針を打ち出しています。中小、零細企業が国全体の8割を占めるため、従業員が少ないほど利子も少なく融資できる政策にしました。

 国際社会に連携を訴え続ける

人口1億2600万人、スペイン語を公用語とする国のなかで最大、中南米ではブラジルに次いで2番目のメキシコは、途上国を代表して国際社会への連携を訴え続けています。

「中国とは1月3日から新型コロナウィルスに関して緊密な情報交換を行ってきた」と、ロペス・オブラドル大統領は定例会見(3月20日)で説明しています。医療資材や人工呼吸器の輸入は感染レベルに合わせて、直接中国から輸入しており、中国政府は品質管理を保証しています。3月末からは感染ピークに備え、直行便20便が医療物資を届けています。

新型コロナウィルスの診断、治療方法はメキシコ主導で、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の感染症専門家と情報共有を進めてきました。医療に力を入れているキューバの専門家、20名がメキシコ協力支援をしています。

「メキシコとの国境に壁を建設する」ことを公約に掲げ、メキシコの反発を招いた米国のトランプ政権とも関係を改善し、連帯を表明しています。ロペス・オブラドル大統領とトランプ大統領は電話会見もしており、対話が続いています。
-メキシコは米国にとって、製造業の工場などが集まるサプライチェーンの地である強みがある。ロペス・オブラドル大統領は、医療資材や人工呼吸器を独占しようとしたトランプ政権と直接交渉をして、途上国への供給を約束してもらうことに成功した。
-経済回復のための米国、メキシコ、カナダ協定の早期発効を約束。ただ米国の軍需や自動車産業はメキシコ国内工場を再開させようとしているのに対し、メキシコは「現時点で戦略的に不可欠な産業ではない」との見方を示し、労働者を守るためにこれを認めていない。

米国をも国際協力に巻き込み、国の状況をふまえたうえで計画的に進めてきたメキシコの新型コロナウィルス対策。社会課題解決への取り組みとともに、注目されています。

ケパサenミカサ編集部

(注)5月5日(メキシコ現地時間)の新型コロナウィルス感染状況のデータを追記しました。

参考:Report Notes,「【レポート】メキシコ経済と格差」/ Gobierno de México, YouTube “Conferencia de Prensa: COVID19 30 de abril de 2020” / Sitio Oficial de Andrés Manuel López Obrador / La Jornada, “López-Gatell: el pico de la epidemia durará 3 semanas” / Transparency International, “Where Do We Go From Here to Stop the Pandemic? / Gobierno de México, YouTube “Conferencia de Prensa: 27 de abril de 2020″ / Salario mínimo 2019, “Aumento Salario Mínimo 2019 Frontera Norte México” / Gobierno de México website, “Versión estenográfica. Conferencia de prensa. Informe diario sobre coronavirus COVID-19 en México” / Sin Línea Mx, “Conferencia de López-Gatell con niños; derrite a las redes sociales” / Noticieros Televisa YouTube, “Conferencia sobre Coronavirus en México – 30 de Abril 2020” / Forbes centroamerica, “Millonarios 2020 | Los empresarios mexicanos más ricos” / INSABI, “Insabi, el Nuevo y Mejorado Seguro Popular” / Gobierno de México, “Primer Informe sobre Desigualdades en Salud en México” / La Jornada, “López-Gatell: el pico de la epidemia durará 3 semanas” / Gobierno de México, “Programas Prioritarios” / Gobierno de México, “#QuédateEnCasa!”

 

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